Principles
大学生と受験生の二重生活を送る上で、自分がしたいことは一体何だろうか、という問は避けられないと思います。
私は、自分の行為に理由を求めなければ(特に生きる理由)厳しい現実に飲み込まれてしまう、という恐怖心を強く持つ質なので尚更です。
Principleを持つことこそが大切だと思っているので。
それを持たないと、自らの行為に疑問を持った時、前へ進む事ができなくなる気がするのです。
簡単に言うなら、自分の行動原理がないと自己の正当性を失う気がして怖い、という感じでしょうか。
この感覚は誰でも持ち得ると思うのですが、どうでしょう?
昔は妥協ラインを定めて孵化を続けながら、果たして何故自分はこんな妥協ラインを定めたのだろうか、と悩んだものです。
結局、私の歩もうとしている道は先達が少なく、どうしても自分の独善によってしまいます。
勿論、視野を狭めないためにも色々な意見を聞いているつもりなんですが…
今の自分の考えなんてどうせ早ければ来週にも変わるでしょうし、当てにならない事の方が多いでしょうが、今日思ったのは、
どっちの道選んでもある程度は満足し、ある程度は後悔するのだから現時点で正しいと思う道を選ぶしかない
という(個人的にはありふれていると思う)結論に至りました。
今後どんな後悔するかなんてわからないですから。
精々、こっちの方が後悔が少なくて済むだろうな、という個人の価値観に基づいた予想をするくらいしか出来ないでしょう。
多くの先達が言ってきた、勉強はしておけ、という警告が正しいと気付けたのも入試失敗時ではなくて大学入学後ですし。
やはり何か意見する為には自分はまだ浅学である。
浅学非才の身で考える事にも意味はあるだろうが、やはりもっと学ばなくてはならない。
今のところは、自分の出来る範囲で精一杯考えることで、自己を正当化しておこう。
私は、自分の行為に理由を求めなければ(特に生きる理由)厳しい現実に飲み込まれてしまう、という恐怖心を強く持つ質なので尚更です。
Principleを持つことこそが大切だと思っているので。
それを持たないと、自らの行為に疑問を持った時、前へ進む事ができなくなる気がするのです。
簡単に言うなら、自分の行動原理がないと自己の正当性を失う気がして怖い、という感じでしょうか。
この感覚は誰でも持ち得ると思うのですが、どうでしょう?
昔は妥協ラインを定めて孵化を続けながら、果たして何故自分はこんな妥協ラインを定めたのだろうか、と悩んだものです。
結局、私の歩もうとしている道は先達が少なく、どうしても自分の独善によってしまいます。
勿論、視野を狭めないためにも色々な意見を聞いているつもりなんですが…
今の自分の考えなんてどうせ早ければ来週にも変わるでしょうし、当てにならない事の方が多いでしょうが、今日思ったのは、
どっちの道選んでもある程度は満足し、ある程度は後悔するのだから現時点で正しいと思う道を選ぶしかない
という(個人的にはありふれていると思う)結論に至りました。
今後どんな後悔するかなんてわからないですから。
精々、こっちの方が後悔が少なくて済むだろうな、という個人の価値観に基づいた予想をするくらいしか出来ないでしょう。
多くの先達が言ってきた、勉強はしておけ、という警告が正しいと気付けたのも入試失敗時ではなくて大学入学後ですし。
やはり何か意見する為には自分はまだ浅学である。
浅学非才の身で考える事にも意味はあるだろうが、やはりもっと学ばなくてはならない。
今のところは、自分の出来る範囲で精一杯考えることで、自己を正当化しておこう。
一週間の流れ
Twitterばかりでブログ更新していないとか思いましたが、元々そんなに更新していなかった事に気付きました(
本題
無駄なく過ごすために一週間の流れを書き出すと
月曜日→西語・微積・英語1⇒西語は3ページ分の予習、微積は毎回レポート提出、英語も宿題あり ∴結構時間を取られる
火曜日→英語演習・実験・実験⇒英語演習は毎日1時間の家庭学習だが受験に役立つ、実験はレポート ∴かなり面倒
水曜日→情報・西語・線形⇒情報は面倒だが楽、西語は3ページ分の予習、線形は毎回小テスト ∴やや面倒
木曜日→英語2⇒実質何もない日 ∴この日でどれだけ大学の課題を片付けられるかが肝
金曜日→物理・化学・教養⇒物理は毎回宿題あるけど超簡単、化学はたまにレポート、教養が死ぬほど面倒 ∴鬼門
課題にかかる時間は、英語演習6時間(1時間×6日)、教養5時間、西語・実験・英語1・情報・微積1時間、物理30分
英語は普通に受験対策として利用できる(単なるリスニングとリーディング)からそれを差し引いて、約10時間
何より問題なのは、大学の授業を理解するための予復習にかかる時間。
西語・微積・線形・化学の4科目だけで済むけど、それぞれ最低1時間は掛けないと話にならない。
結局、一週間当たり15時間は最低でも大学に割く必要があります。
授業・通学などにかかる時間も考慮すると一日7時間の計35時間。
総計50時間は失われると考えるべき。
これに加えて睡眠時間7時間(25時寝8時起き)を加味すると、一週間で残るのは69時間
昼寝・食事・その他諸々を考えると週50時間は余る。
つまり、一日最低5時間は勉強しなさいということになる。(5時間勉強して2時間遊ぶとしたら)
5時間の内、差し引いておいた英語演習を考慮して4時間余る。
英単語・リーディングに1時間、物理に1時間、化学に1時間、数学に1時間…
やっぱ仮面浪人って無理だね(
これから大学受験の方は、是非とも、後悔のない受験生活を送って下さい(心からの言葉)
本題
無駄なく過ごすために一週間の流れを書き出すと
月曜日→西語・微積・英語1⇒西語は3ページ分の予習、微積は毎回レポート提出、英語も宿題あり ∴結構時間を取られる
火曜日→英語演習・実験・実験⇒英語演習は毎日1時間の家庭学習だが受験に役立つ、実験はレポート ∴かなり面倒
水曜日→情報・西語・線形⇒情報は面倒だが楽、西語は3ページ分の予習、線形は毎回小テスト ∴やや面倒
木曜日→英語2⇒実質何もない日 ∴この日でどれだけ大学の課題を片付けられるかが肝
金曜日→物理・化学・教養⇒物理は毎回宿題あるけど超簡単、化学はたまにレポート、教養が死ぬほど面倒 ∴鬼門
課題にかかる時間は、英語演習6時間(1時間×6日)、教養5時間、西語・実験・英語1・情報・微積1時間、物理30分
英語は普通に受験対策として利用できる(単なるリスニングとリーディング)からそれを差し引いて、約10時間
何より問題なのは、大学の授業を理解するための予復習にかかる時間。
西語・微積・線形・化学の4科目だけで済むけど、それぞれ最低1時間は掛けないと話にならない。
結局、一週間当たり15時間は最低でも大学に割く必要があります。
授業・通学などにかかる時間も考慮すると一日7時間の計35時間。
総計50時間は失われると考えるべき。
これに加えて睡眠時間7時間(25時寝8時起き)を加味すると、一週間で残るのは69時間
昼寝・食事・その他諸々を考えると週50時間は余る。
つまり、一日最低5時間は勉強しなさいということになる。(5時間勉強して2時間遊ぶとしたら)
5時間の内、差し引いておいた英語演習を考慮して4時間余る。
英単語・リーディングに1時間、物理に1時間、化学に1時間、数学に1時間…
やっぱ仮面浪人って無理だね(
これから大学受験の方は、是非とも、後悔のない受験生活を送って下さい(心からの言葉)
運転免許
そろそろ取れと親が言うので5月に申し込んできます。
ぶっちゃけ、仮面浪人の分際で免許とか調子のってんじゃねぇよと自分でも思いますが、
親に費用を出してもらえるのだから、親の機嫌を損ねるのは得策じゃないと判断して取ることにしました。私自身車好きですし。
尚、親は私が合格するはずがないと考えている(仮面浪人自体は容認)ので、余り話題にしない様にしています。
それでも模試代を出してくれると言うのだから感謝です。
さて、Twitter初めて約一ヶ月なんですが、本気で後悔し始めています(
アレは時間取られるわww
TL確認が帰宅後の日課とか笑えないです。
現役時もそうでしたが、やはり家にいたらダメですね
ぶっちゃけ、仮面浪人の分際で免許とか調子のってんじゃねぇよと自分でも思いますが、
親に費用を出してもらえるのだから、親の機嫌を損ねるのは得策じゃないと判断して取ることにしました。私自身車好きですし。
尚、親は私が合格するはずがないと考えている(仮面浪人自体は容認)ので、余り話題にしない様にしています。
それでも模試代を出してくれると言うのだから感謝です。
さて、Twitter初めて約一ヶ月なんですが、本気で後悔し始めています(
アレは時間取られるわww
TL確認が帰宅後の日課とか笑えないです。
現役時もそうでしたが、やはり家にいたらダメですね
受験生に一言
俺の枠を減らさないためにも東京大学理科一類を受けるな、いや受けないで下さい
※尚、この記事は某氏のブログからアイデアを頂きました、この場で御礼申し上げます(
※尚、この記事は某氏のブログからアイデアを頂きました、この場で御礼申し上げます(
死刑制度の是非
某氏ブログから題材をパクらせて頂きました(
私は中学時代弁護士を志したこともあり、一時期冤罪事件について相当調べたものです。でっていうって感じですが
第一に、私は死刑賛成派です。
中坊の頃は冤罪があるから死刑は廃止しないと、等と正にガキ程度の脳みそしか持っていませんでしたが、今では賛成派です。
ですが、当時中学1年生だった私に免田事件が与えた影響は非常に大きく、死刑制度を論じる上で冤罪の議論は外せないと思います。
冤罪について興味を持たれた方は是非とも、八海事件について調べてみてください。かなり酷い事件です。
ぶっちゃけ、私の中で死刑制度に反対する要因と成り得るのは冤罪の虞だけです。
非人道的という声や人権侵害という声もありますが、正直、死刑になって当然のような犯罪者の人権を考慮するのは馬鹿らしいと思うので。
んなこと言ったら、動物園から脱走した動物を殺したり、山から降りてきた熊を殺したりするほうが余程可哀想だと思います。
前者は人間社会に属し、その枠から外れた事への懲罰として殺されるのに対して、
後者はそもそも別社会に生きているのに、人間社会に不都合だからという理由で殺されるのですから。
死刑反対派が全員動物愛護団体所属でベジタリアンというのであれば、言い返せません。
さて、冤罪を減らすにはどうするべきか、ですけど、取り敢えず再審への道を容易にするべきですね。
法曹人口が突然増え、食いっぱぐれている弁護士も多いみたいですが、それなら判事と検察を増やすのも手だと思います。
再審への道が険しいのは、容易にすると再審請求ばっかする人が出て来てキリがないってのもあるでしょうが、人手不足ってのもある気が…
(このことについては調べたことが無いので完全な妄想です、すみません)
後、せめて死刑判決の事件に関しては必ず最高裁まで持って行くとか。
光市母子殺害事件などのように上告棄却になって安心する事件があるのも確かですが、そこは形式的にしないといけない。
訳のわからん茶番劇を見せられる苦痛よりも、一人の冤罪被害者が助けられる方を優先するべきだと思います。
又は線引きは難しいですが、上告理由が量刑不当の場合は棄却をアリにして、冤罪の場合は絶対三審制にするとか。
弁護側が真犯人存在の可能性を提示できるかにかかってくるから線引きは難しいとは思いますが。
そして、拘留期間がアホみたいに長いのもマズい。その分冤罪の危険性が高まるのだから…
グダグダしましたが、私の主張は
1、死刑制度は存続させるべき
2、しかしながら冤罪の虞があるので、再審をしやすくしたり、拘留期間を短くさせるなどして冤罪を減らす努力をするべき
(例:死刑判決事件に限り上告棄却をなしにする)
ついでに、昔(1960年代?)は再審請求している死刑囚は執行されにくかったらしいです。勿論例外もありますが。
やはり法相も人の子ですから、再審を訴えている人を無情にも殺すのは躊躇われたみたいです…
最後に、是非とも世間の皆様に知っておいて頂きたい事件をリストアップしておきます
帝銀事件
一時期世界最長の拘留期間であった。多くの文化人が支援しており、今も尚没後再審請求がされている。一応有罪確定事件ではあるものの、殆どの場合は冤罪事件として考えられている。戦後の混乱期に起きた事件でもあり、GHQや旧陸軍の関連が臭う。世論の反発を恐れ、多くの法相が死刑執行命令書にサインをしたがらなかった事件。
八海事件
別名エレベーター裁判。一度無罪で釈放された後での死刑判決、高裁の判決を地裁が覆す、計七回の裁判など、信じられないとしか言えない事件。犯人が自分を従犯に見せかけるために主犯をでっち上げた事件であり、結局犯人は無期懲役に処せられた。
三鷹事件
赤狩りも絡んだ戦後の混乱を感じる事件。おいしいものから食べなさい、という言葉の重さを感じる。再審開始の寸前で請求者が死去したため、一応有罪確定事件(の筈)だが、これもまた冤罪事件として考えられている。
牟礼事件
恩赦への道を断ち、あくまでも無罪を勝ち取ろうとした姿勢には涙せずにはいられない。恩赦請求をするということは罪を認めること…
財田川事件
冤罪を疑った判事は辞職して容疑者の弁護人へ転身。結局、元判事は判決を聞く前に死去したが、見事無罪判決を勝ち取る。
藤本事件
閉鎖的な村社会とハンセン病への差別。裁判でさえもまともな扱いを受けられずに、そのまま死刑執行。冤罪か否かを論じる以前に、余りにも杜撰な裁判への怒りを覚えると共に、差別に対する自己の行いを考えさせられる事件。
私は中学時代弁護士を志したこともあり、一時期冤罪事件について相当調べたものです。でっていうって感じですが
第一に、私は死刑賛成派です。
中坊の頃は冤罪があるから死刑は廃止しないと、等と正にガキ程度の脳みそしか持っていませんでしたが、今では賛成派です。
ですが、当時中学1年生だった私に免田事件が与えた影響は非常に大きく、死刑制度を論じる上で冤罪の議論は外せないと思います。
冤罪について興味を持たれた方は是非とも、八海事件について調べてみてください。かなり酷い事件です。
ぶっちゃけ、私の中で死刑制度に反対する要因と成り得るのは冤罪の虞だけです。
非人道的という声や人権侵害という声もありますが、正直、死刑になって当然のような犯罪者の人権を考慮するのは馬鹿らしいと思うので。
んなこと言ったら、動物園から脱走した動物を殺したり、山から降りてきた熊を殺したりするほうが余程可哀想だと思います。
前者は人間社会に属し、その枠から外れた事への懲罰として殺されるのに対して、
後者はそもそも別社会に生きているのに、人間社会に不都合だからという理由で殺されるのですから。
死刑反対派が全員動物愛護団体所属でベジタリアンというのであれば、言い返せません。
さて、冤罪を減らすにはどうするべきか、ですけど、取り敢えず再審への道を容易にするべきですね。
法曹人口が突然増え、食いっぱぐれている弁護士も多いみたいですが、それなら判事と検察を増やすのも手だと思います。
再審への道が険しいのは、容易にすると再審請求ばっかする人が出て来てキリがないってのもあるでしょうが、人手不足ってのもある気が…
(このことについては調べたことが無いので完全な妄想です、すみません)
後、せめて死刑判決の事件に関しては必ず最高裁まで持って行くとか。
光市母子殺害事件などのように上告棄却になって安心する事件があるのも確かですが、そこは形式的にしないといけない。
訳のわからん茶番劇を見せられる苦痛よりも、一人の冤罪被害者が助けられる方を優先するべきだと思います。
又は線引きは難しいですが、上告理由が量刑不当の場合は棄却をアリにして、冤罪の場合は絶対三審制にするとか。
弁護側が真犯人存在の可能性を提示できるかにかかってくるから線引きは難しいとは思いますが。
そして、拘留期間がアホみたいに長いのもマズい。その分冤罪の危険性が高まるのだから…
グダグダしましたが、私の主張は
1、死刑制度は存続させるべき
2、しかしながら冤罪の虞があるので、再審をしやすくしたり、拘留期間を短くさせるなどして冤罪を減らす努力をするべき
(例:死刑判決事件に限り上告棄却をなしにする)
ついでに、昔(1960年代?)は再審請求している死刑囚は執行されにくかったらしいです。勿論例外もありますが。
やはり法相も人の子ですから、再審を訴えている人を無情にも殺すのは躊躇われたみたいです…
最後に、是非とも世間の皆様に知っておいて頂きたい事件をリストアップしておきます
帝銀事件
一時期世界最長の拘留期間であった。多くの文化人が支援しており、今も尚没後再審請求がされている。一応有罪確定事件ではあるものの、殆どの場合は冤罪事件として考えられている。戦後の混乱期に起きた事件でもあり、GHQや旧陸軍の関連が臭う。世論の反発を恐れ、多くの法相が死刑執行命令書にサインをしたがらなかった事件。
八海事件
別名エレベーター裁判。一度無罪で釈放された後での死刑判決、高裁の判決を地裁が覆す、計七回の裁判など、信じられないとしか言えない事件。犯人が自分を従犯に見せかけるために主犯をでっち上げた事件であり、結局犯人は無期懲役に処せられた。
三鷹事件
赤狩りも絡んだ戦後の混乱を感じる事件。おいしいものから食べなさい、という言葉の重さを感じる。再審開始の寸前で請求者が死去したため、一応有罪確定事件(の筈)だが、これもまた冤罪事件として考えられている。
牟礼事件
恩赦への道を断ち、あくまでも無罪を勝ち取ろうとした姿勢には涙せずにはいられない。恩赦請求をするということは罪を認めること…
財田川事件
冤罪を疑った判事は辞職して容疑者の弁護人へ転身。結局、元判事は判決を聞く前に死去したが、見事無罪判決を勝ち取る。
藤本事件
閉鎖的な村社会とハンセン病への差別。裁判でさえもまともな扱いを受けられずに、そのまま死刑執行。冤罪か否かを論じる以前に、余りにも杜撰な裁判への怒りを覚えると共に、差別に対する自己の行いを考えさせられる事件。
サークル
北大にはないと思っていた麻雀サークルを発見してしまい、体験会に行って来ました。遂に雀荘初体験
流石に先輩方は強い。
私は全ツッパ麻雀の初心者なので、放銃時の言い訳として常に立直しておく超チキン
結局、相当負けましたが、当然賭けはしないので損はない
当然問題は入るか、入らないかということですね。
かなり迷っていますが、多分入らないと思います。本当は入りたいですが。
入らないメリット:勉強時間確保・貯金(賭けは無いけどサークル費を払う必要が無い)・来年いなくなっても迷惑をかけない
入らないデメリット:もし受験に失敗したら流石に来年に入りますとは言えない・ぼっちになる
入らないデメリットは合格によってチャラになります。即ち、私が選ぶべき道は入らずに合格を勝ち取ること、そう信じて頑張ることにします。
流石に先輩方は強い。
私は全ツッパ麻雀の初心者なので、放銃時の言い訳として常に立直しておく超チキン
結局、相当負けましたが、当然賭けはしないので損はない
当然問題は入るか、入らないかということですね。
かなり迷っていますが、多分入らないと思います。本当は入りたいですが。
入らないメリット:勉強時間確保・貯金(賭けは無いけどサークル費を払う必要が無い)・来年いなくなっても迷惑をかけない
入らないデメリット:もし受験に失敗したら流石に来年に入りますとは言えない・ぼっちになる
入らないデメリットは合格によってチャラになります。即ち、私が選ぶべき道は入らずに合格を勝ち取ること、そう信じて頑張ることにします。

